カジノは勝つことよりも楽しむことを重視する

カジノで一攫千金を夢見る人は多いものですが、実際にそれを成し遂げる人はごく僅かです。
はっきり言ってしまうのであれば、基本的にはすべての人が負けるようになっているので、夢を見るのは良くても入れ込みすぎないようにしましょう。
カジノに限らずギャンブルというのは胴元に有利にできているので、客側が勝つことは不可能なのです。
それではなぜ勝つことができないのかより詳しく説明すると、それはゲームをプレイする際に発生するコミッションにあります。
カジノのゲームはポーカーなど一部のゲームをのぞいて直接的なゲーム代を支払っているわけではありませんが、ルールの中に巧妙に胴元の取り分が発生するようにできています。
バカラは比較的わかりやすくこのゲームでは、バンカーにかけて勝った場合5パーセントほどのコミッションが取られます。
バカラは予想をして勝率を高めることはできず、完全に運否天賦で勝負が決まるゲームですから、わずか5パーセントのコミッションと言っても続けていけば、必ずその5パーセント分だけ負けてしまうというわけです。

ルーレットであれば0や00の親の総取りの目が設定されていて、これがコミッションとなります。
赤黒賭けや奇数偶数賭けをして当たった場合には、賭け金が倍になってきます。
勝率が50パーセントであれば損も得もしないという計算になります。
ところが実際には先に上げたように、0や00のように親の総取りとなる目がありますから、勝率が50パーセント未満になってしまうため勝率と払戻の差額で胴元は勝つようにできていて、客は負けるようにできているというわけです。

ブラックジャックのように例外的に攻略法が存在しているゲームもないわけではありませんが、近年はルールが改正されて勝つことが難しくなっているので、やり方次第で勝てるゲームはほぼないと言って良いでしょう。

攻略法が存在せず技術介入ができないのであれば、後は完全に確率だけの世界になるため勝つことはできないというわけです。
もちろん、短期的に見れば勝ったり負けたりを繰り返すことになりますし、一時的に大勝ちをしてプラスになることもありますが、それをずっと維持することはできません。
続けている限りはどこかで必ず負けることになるのです。

それでも、ごく僅かでもプラスになる可能性の高い方法を選びたいというのであれば、短期的に大勝が狙える賭け方をして勝ち逃げをしてしまう作戦が効果的です。
ルーレットであればストレートベットで大当たりを狙ったり、バカラであれば転がしていって賭け金を大きく膨らませるやり方になります。
簡単に大当たりをしたり連勝をすることはできませんから、大抵の場合には失敗をしてしまうものの、運よく成功をすれば大金をゲットできるためそのまま勝ち逃げができるというわけです。
コツコツ勝ち続けることが難しい以上、なんとか勝ち越すためには大勝を狙える方法で早い段階に当たりを引くことがポイントになります。

このようにカジノで勝つのは基本的に無理だと考える必要がありますが、それならカジノで遊ぶ意味はないのかというと決してそのようなことはありません。
あくまでも必ず負けるゲームと割り切って、一時のスリルを楽しむことを目的とするのであれば、他のギャンブルと比較をした時にかなり有利だからでです。

日本で認可されているギャンブルには競馬や競輪、競艇にオートレースといったものがありますが、これらの控除率つまりコミッションは惨憺たるものになっています。
券種によっても異なりますが平均すると25パーセント程度、オートレースに至っては30パーセントもの控除率が設定されています。
どれだけ予想力が優れていたとしても、賭け金の三分の一や四分の一も取られてしまうような設定では勝つことは難しいものです。

一方のカジノのゲームはコミッションが日本の公営競技などと比較するとずっと低く抑えられていて、ルーレットであれば3-5パーセント程度、バカラであれば1-2パーセント程度となっています。
公営競技もこれらのゲームも最終的に負けてしまうのは同じだとしても、一回のプレイの期待値を考えるとその差は歴然としており、前者は大して回数をこなさないうちに資金が底をつきてしまうのに対して、後者であれば資金が尽きるまでかなりの回数をかけることができます。
同じ金額で長く遊ぶことができるわけですから、遊ぶこと楽しむことを考えるのであれば断然有利ということになるのです。
そもそも、元から勝つことができないようになっているのですから、勝つことばかりを意識せずお金を払った分だけスリルを楽しめればいいという考えであれば、十分その金額に見合った楽しみを得ることができます。
負けても楽しいと思える金額でプレイをしてトントンなら儲けもの、プラスになれば大儲けという気持ちでいれば、長く楽しめるので遊ぶ価値は十分にあるといえるのです。